|
去年「ハゲタカ」というドラマを演出しました。
そこで僕たちが描いたものは、アメリカ流の「グローバルスタンダード」という手法を背負って日本の経済システムを変革しようとする一人の日本人と、旧態然とした日本の経済システムを守ろうとする日本人たちとの、「共食い」の構造であったように思います。
さて、今度演出を担当する2010年度の大河ドラマ。
私たちが描こうとしている幕末という時代。多くの西洋諸国が、黄金の国「ジパング」に、未開のビジネスチャンスを求め、先を争うかのようにやってきました。それは、日本人が初めて「グローバル・スタンダード(のようなもの)」に生身で触れる機会であったといって過言ではありません。金融や経済分野のみならず、生活習慣も含めより激烈な変化が求められたであろうことは、残っている様々な資料から容易に想像できます。そして「ハゲタカ」同様この時代も、「外圧」の影響はやはり「共食い」という形で現れてきます。「幕府」を中心にした政治・経済システムを守ろうとした人々と、「外圧」に乗じ、それを打ち破る絶好の機会と捕らえた人々・・・。
では、2010年大河も「ハゲタカ」のような「悲劇」を描くことが目的になるのでしょうか。たぶん、そうはならない。なぜなら、そこに「龍馬」が登場するからです。彼の登場によって、なぜか骨肉を争うような「対立」の空気が一変するからです。龍馬だけが、「共食いの構造」から、ちょっと離れたところに存在しているのはなぜでしょうか。龍馬の周りにだけ、爽やかな風が吹いている印象があるのはなぜでしょうか。
僕はそこで一つの仮説を立てています。それはきっと、龍馬ただ一人が、あの時代断固として「オリジナリティ」を大切にした、極めて稀有な日本人だったからではないかと。「今自分に出来ること」と「出来ないこと」、「今自分がやろうとしていること」と「そのために必要なこと」、「自分にしか出来ないこと」と「他人でも出来ること」・・・龍馬だけが、実は時代に流されない「自分」という「オリジナル」に立脚した、極めて醒めた「自己分析」を行っていたのはないでしょうか・・・。自らの「好奇心」と「向上心」を武器に海を渡った、イチロー選手や中田選手のように。
新しいことをはじめようとするとき、そこには、必ず対抗勢力や批判が生まれます。メディアの発達した現代社会では、それらを有効に活用し、どちらが大きな声を上げるか、「情報戦」をどう制するかが勝敗やその評価を決する大きな分岐点ともなる。一方で「敗者」にも、メディアによる「敗者復活戦」や「反論の機会」が保障されています。現代のような「メディア」が存在しなかった「幕末」という時代。「自分」以外の一人一人と向き合い、時代の流れと向き合い、龍馬は「自己発見」を淡々と進めていた。何万キロもの道のりを移動し、自分自身が「メディア」となって。時には「インタビュアー」として人の声にじっと耳を傾け、時には自らが取材される側に立って、自らの考えを確認しながら、見聞を広めていった。どんどん「外」に出て行く彼の行動力は、内に内に篭っていく現代的な「内向的な青春像」とは一線を画しています。ひたすら外に出て、他者とぶつかり合うことで、龍馬は「龍馬オリジナル」を見つめようとしていたように思うのです。そこに、今こそ「永遠の青春像」として龍馬を世に問う意義があると思うのです。
「ハゲタカ」冒頭。主人公の鷲津がプールに浮かぶ映像を思い浮かべたとき、鷲津は「失われた十年」に殉じ、十字架に磔にされたイエス・キリストであるという仮説を立てました。これに準じて考えると、暗殺の凶刃に倒れた龍馬も、幕末という時代に殉じ、やはり磔にされたキリストという解釈が成り立つともいえます。ですが、龍馬暗殺を、幕末という「時代」に還元した特異な出来事として考えることは、なぜかそぐわないような気もするのです。
そういった形で、彼を「時代の殉教者」として祭りあげるのは、龍馬に失礼であるという気が、なぜかしてしまうのです。
なかなか超えられないと思っていた壁も、ひょいと越えてみると、それは何でもないものだったりする。もしかしたら、単にそれを「越えさせたくない人たち」がいただけかもしれない。易々と超えてしまう龍馬を「気に入らない人たち」がいただけかもしれない。龍馬の暗殺は、密室政治のの匂いや唐突な、通り魔的な匂いがする一方で、極めて個人的な、「嫉妬」のようなものが背後で蠢いていることを感じさせたりもします。そう考えると、誰が龍馬を「暗殺」してもおかしくはない。それは、決して歴史的事実をないがしろにするという意味ではありません。新しい一歩を踏み出そうとした龍馬を「暗殺」する「動機」は、時代を超えて、場所を越えて、誰もが十分持ちえるような普遍的な感情であるような気がするのです。今の時代であれば、メディアが龍馬を(事実上)抹殺してしまう可能性もあると思うのです。
決して単なる「犯人探し」ではなく、龍馬に対する「感情の代弁者」として、幕末屈指の経済人である岩崎弥太郎を始め「龍馬暗殺」に部外者ではいられない多くの登場人物たちを登場させたいと思っています。そして、それは、天に何かを賦与された者に対する、私たち自身の姿の投影になるかもしれません。
視てくださる誰もが他人事ではいられない、激しく、熱い、骨太なエンターテイメントを産み出したいと思っています。よろしくお願い致します。
|